CHRONOLOGY
学術版年表
証拠強度:一次自述本人の自伝または直弟子の目撃 · 現物証拠証書・原本の影印・注文票など現物 · 独立情報源第三者メディアによる相互検証 · 伝記転記伝記書稿のみ · 未確定複数の記録に相違あり
人物と時代ページの年表から取り、各項目の証拠ラベルを残しています。詳細の全文は下のCSVにあります。「並記・考証待ち」の列は、キーワード(「並記」「存疑」「考証待ち」「二説」など)で自動的に付けた目印で、判断ではなく検索の手がかりです。
| 年 | 出来事 | 証拠 | 並記・考証待ち |
|---|---|---|---|
| 1921 | 四川省資陽市老君鎮廟山村に生まれる | 公式追悼文で確認 | |
| 1929 (9歳) | 蝗害の中でバッタを焼き飢民に分け与える | ||
| 1933 (12歳) | 親に内緒で徒歩で成都へ料理修業に出る | ||
| 1934.3—1936.4 1936.5—1939.1 | 周光廷・ 陳昌明 に師事し体系的に修行 | 一次自述 | ◆ |
| 1938 (17—18歳) | 潘文華寿宴で一躍名を挙げる | ||
| 1939—1947 | 病気、流動的な料理人、抗戦での無償奉仕 | ||
| 1944 | 蔣明書と結婚、朵頤食堂に入る | ||
| 1949—1950s | 成都解放、各界代表と志願軍の食事を担当 | ||
| 1957 | 成都市聖灯寺国営食堂に異動、中国共産党に入党 | ◆ | |
| 1959 | 周恩来の指示により北京に上り四川飯店を設立、初代料理長に就任 | 一次自述 | ◆ |
| 1959.9 | 周恩来が視察に訪れ、庶民が川菜を味わえるよう「二北食堂」の存続を指示 | 弟子の伝聞 | |
| 1959.9.7 | 初めて中南海・菊香書屋にて毛沢東の料理を担当 | 一次自述 | ◆ |
| 1961 | 会場が人民大会堂から中南海に急遽変更:シハヌーク親王接待の緊急移動 | 未確定 | ◆ |
| 1959—1966 | 三度の中南海入り、党および国家の指導者、外国からの来賓の食事を担当 | 一次自述 | ◆ |
| 1966—1976 | 文化大革命の衝撃、造反派の圧力に直面 | ||
| 1972—1973 | 再び北京へ、四川飯店を再建 | ◆ | |
| 1981 | スペイン国王フアン・カルロス1世来訪 | 一次自述 | ◆ |
| 1982.11.5 | 鄧小平が四川飯店でシハヌーク親王を歓迎の宴 | 現物証拠 | ◆ |
| 1981 / 1986 | 二度の高給オファーを辞退、留任を選択 | ||
| 1981.12 | 北京市人民代表大会代表に選出 | 一次実物 | |
| 1984.1.1 | 人民大会堂・元旦祝賀の宴 | 現物注文票で確認 | ◆ |
| 1986.1 | 北京烹飪協会から表彰 | 現物証明書 | |
| 1986 | 北京市人民政府より「特一級中国料理コック」の称号を授与 | 未確定 | ◆ |
| 1987 | 佳木斯支店の立ち上げを命じられる | 一次自述 | |
| 1987.8.8—8.28 | 名だたる料理人8名を率いてシンガポール実演、獅城を震撼 | 一次資料 | ◆ |
| 1989 | 中国烹飪協会から「烹飪業務従事30年以上」を表彰 | 現物証明書 | |
| 1989 / 1991 | 2冊の著作を出版 | ||
| 1991.9.10 | 烹飪講師に招聘される | 現物証明書 | ◆ |
| 1991—1992 | 弟子・肖見明が北京に戻らず「錦水苑」に残る決断を支持 | 弟子の口述 | |
| 1992 | 「世界名厨協会」東方料理部門年間名誉賞受賞 | 「首位」表記には疑問 | ◆ |
| 1993.1.16 | 心筋梗塞で急逝、享年71歳(弔辞の「享年72」は数え年) | ||
| 没後 | 技術が資陽市市級無形文化遺産に認定 | 公的認定 | |
| 2024.7 | 北京四川飯店が「北京老舗(北京老字号)」の称号を取得 | 公式認定 |
OPEN QUESTIONS
未解決の研究課題
次の課題は、当サイトではいまも未解決です。第三列は、当サイトが必要だと明記している資料だけを写しています。「—」の項目は、何があれば決着するかを当サイトが書いていないという意味で、手がかりはいつでも歓迎します。並記したままで補証を要しない相違は、訂正記録と争点一覧にあります。
| 課題 | 現在の記述 | 当サイトが必要と明記している資料 |
|---|---|---|
| 未確定 『正宗川菜160種』の2001年以降の刷数と累計部数 | 奥付の実物で2001年の第16刷(約93.1万部)まで確認済み。ネット上の「二冊で約500万部」という説は、確認済みの刷数では裏付けられない | 2001年以降の各刷の奥付の実物 |
| 未確定 『正宗川菜160例』が『160種』に改称された刷 | 1991年12月第1版第1刷の表紙と奥付CIPは「160例」、電子版原稿の表紙は「160種」。連続17回の再版のなかでの変化と推測される | 各刷の表紙と奥付の実物(当サイトは「未考証」と記載) |
| 未確定 1959年の四川飯店の試食会の日 | 自伝は8月4日、陳廷龍の文章は8月28日。10月1日の正式開業は両説とも一致 | — |
| 未確定 入党の年 | 直弟子の肖見明の口述は1957年、1993年の勤務先の弔辞は1959年3月。デジタルアーカイブには「入党時期の記録」(PH-027)もあり、年代は考証待ち | PH-027の年代 |
| 未確定 「特級技師」の称号を得た年 | 1993年の勤務先の弔辞:北京市第一回特級技師命名大会で授与(当サイトは1986年と記載)。肖見明の口述:1978年に北京市人民政府の承認で特一級料理人になった | — |
| 未確定 1972—73年の二度目の北京入りで集められた料理人の数 | 「12人」(自伝の原文)/「三十数名」/「二波で計六十余名」(陳廷龍1988年の文章) | — |
| 未確定 接待した外国要人:「ブッシュ(父)」 | 1987年の公式提供資料は「米国務長官ヴァンス」、一年後の遺族の文章は「ブッシュ(父)」。『国宴上的川菜風』(2017)は陳廷龍がブッシュやホイットラムを接待したと記す | 独立した出典による直接の裏付け(当サイトは確認済みとは扱わない) |
| 未確定 崔庸健の訪中と「千里馬勲章」 | 当サイトは1962年と記載。ニュースページ所収の文章には1963年、1956年とするものもあり、勲章授与の経緯にも1962年と1986年の二説がある | — |
| 未確定 陳松如が「初代の厨房組長」だったか | ニュースページ所収の複数の長文のなかに、筆者自身が「異議を唱える読者がいる、要考証」と記すものがある | — |
| 未確定 羅国榮の師承に挙がる「福華園の黄紹清」は、陳松如の恩師「黄邵清」と同一人物か | 名前が酷似。師承ページでは確認でなく、要確認の手がかりとして挙げている | — |
| 未確定 自伝中の人名の異表記:韓伯成/朴柏成、殷玉昆/段玉昆 | 自伝中で各々二通りに書かれる。孫済世の名は一致 | どちらの記載が正しいかは考証待ち |
| 単一情報源 肖見明が1987年に佳木斯支店の立ち上げを命じられたこと | 現時点では肖見明の口述資料一件のみに記録 | さらなる独立した裏付け |
| 未確定 37頁の手稿の起筆と清書の時期 | 清書稿の本文に1980年の逸話があり、成稿時期の下限となる。合綴本の「80.10.28講」の落款と相互に符合 | 正確な起筆と清書の時期は考証待ち。当サイトは認定しない |
| 未確定 1987年シンガポール映像の末尾にある約7分半の個人特集の制作者と年代 | 北京で撮影されたもので、シンガポール行きとは無関係。制作者(テレビ局)と年代は確認待ちのため、特別展ページでは収録していない | 制作者と年代 |
| 未確定 収集待ちの実物と、特定待ちの人物 | デジタルアーカイブの3件が「収集待ち」(存在は分かっているが実物または許諾が未取得)。例:CE-004 中国烹飪協会名誉理事の委嘱状。集合写真の一部は人物が未確認。証書一点は発行元の印影が不鮮明で名称を完全には判読できていない | 実物または画像。人物や年代を特定できる方からの手がかり |
DATA
データダウンロード
すべてUTF-8のCSV(BOM付き、Excelでそのまま開けます)またはJSONです。年表と目録は言語版ごとに書き出し、そのほかのファイルは言語を問いません。
| ファイル | 内容 | 説明 |
|---|---|---|
| chronology-ja.csv | 学術版年表(このページと同じ内容で、詳細の全文つき) | 項目:年、出来事、証拠区分(first 一次/indep 独立/object 実物/bio 伝記伝聞/doubt 存疑)、証拠ラベル、並記・考証待ちの有無、詳細 |
| bibliography-ja.csv | 報道と文献の目録:ニュースページのリンク項目すべて | 項目:区分、タイトルと出典、URL、説明、証拠区分、別リンク |
| dishes.csv | 教学ページ16品の八言語名称対照とリンク | 名称は当サイトの用語集によるもので、当サイトの統一訳 |
| collection-registry.csv | デジタルアーカイブの所蔵目録 | 番号、名称、年代、規格、権利、出所、証拠の強さ。「収集待ち」の項目を含む。著作(BK)の項目には版と部数の情報がある |
| fixity-manifest.csv | ファイルの完全性リスト | ファイルごとのSHA-256。ダウンロードしたファイルが当サイトのものと一致するかの確認用 |
| manifest.json | 37頁の手稿のIIIFマニフェスト | 頁単位のマニフェスト。当サイトは静的ホスティングで、IIIF画像APIは提供しない |
USE AND CITATION
利用と引用
- 年表と目録の証拠区分は、当サイトの四区分の表示に従います(「当サイトについて」の証拠の強さの表示方法を参照)。一次とは本人の自伝または当事者(長男の陳廷龍、直弟子の劉自華ら)の一人称の文章、独立とは家族・門下とは直接の関係のない第三者を指します。
- 引用の際は、ページ、バージョン番号と閲覧日を明記してください。サイト全体のスナップショットはZenodo(DOI)とInternet Archiveにも保存されており、更新履歴ページの冒頭に示しています。
- このページの文章とデータは、「当サイトについて」に記すCC BY-NC-SA 4.0で提供します。所蔵品の原本スキャン、写真、映像はこの許諾の範囲外ですので、利用前にデジタルアーカイブの個別の権利表示をご確認ください。
- 年表や目録に誤りを見つけた場合は、訂正記録と争点一覧に記す方法で info@chensongru.com へご連絡ください。
